大坂なおみ選手を巡る騒動に感じる日本人多様化の壁

こんにちは。

大坂なおみ選手が全豪オープンテニスで優勝しましたね。おめでとうございます!

全米オープンに続く優勝、そして世界ランキング一位。日本人初の快挙に、あまりスポーツに関心のない私も嬉しくなりました。

そんな大坂選手について、一週間ほど前から話題になっていることがありますよね。それは、日清のカップヌードルのCM。大坂選手と錦織選手をアニメ化したこのCMにおいて、大坂選手が"whitewash"されていると批判が集まり、日清は謝罪とともに放送中止を発表しました。

さらに、優勝後のインタビューにおいて、複数の日本人記者が「日本語でコメントを」と求めた問題。ネット上では「しつこい」という批判の声が上がっています。

個人的な見解ですが、これらの背景には、『”日本人”の多様性を受け入れる準備ができていない日本』があるのではないかと感じています。

今日はそのあたりについて、もう少し深く考えてみたいと思います。

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日清の”ホワイトウォッシング”問題

まずは、海外のメディアも報じているカップヌードルのCMのホワイトウォッシング問題について。大坂選手がアニメ化されたのですが、冒頭でも述べたように「ホワイトウォッシングされている」と批判が集中しました。

www.theguardian.com

確かに、実際の大坂選手よりも肌の色はかなり薄くなっています。この件について、大坂選手自身が、「わたしの肌が褐色なのは明らか。わざとホワイトウォッシングのようなことをしようとしたんじゃないと思う。」「この件について怒ったり悲しんだりする人がいることは理解できる。わたしはあまり関心を持っていなかった。ちゃんと調べてからお答えしたい。」(一部省略)といったことを話されているので、ご本人を差し置いて糾弾する気はありません。

ただ個人的に、これはwhitewashではなくmediumwashなんじゃないかなぁと思ったのです。そんな言葉があるのかは分かりませんが。つまり、白人化ではなく、”日本人らしく”してしまったのではないかということです。

ハイチ系アメリカ人と日本人の両親を持ち、日本生まれアメリカ育ちの大坂選手は、日本とアメリカの二つの国籍を所有し、選手としては日本人として各種大会に出場しています。そのようなバックグラウンドを持つ選手ですから、当然外見は生粋の日本人とは異なります。しかし、日本の国籍を持っているのですから、法律の上でもれっきとした日本人です。

残念ながら、大坂選手に対してネット上では、「日本人ぽくない」「日本人とは思えない」といったネガティブな意見が散見されます。そういった声を直接反映した訳ではないと思いますが、”日本人”の大坂なおみ選手を描いた結果、意図的にしろ、無意識にしろ、彼女らしくないイラストが出来上がってしまったのではないでしょうか。

日本語を求めた記者たち

さらにもう一つの問題。彼女に「日本語でお願いします。」と言った記者たち。そんなことを世間が求めていると思った記者たちも問題ですが、実際に求めている世の中にも問題があると思います。大坂選手が全米オープンで優勝した際の記者会見において、片言の彼女の日本語が「可愛い」と話題になりましたからね。海外で英語でインタビューの受け答えをする日本人選手が「すごい」ともてはやされるのとは対照的です。

確かに彼女のキャラクターはとてもチャーミングです。しかし、大人の女性が自分の第一言語以外の言語を喋ったことに対して、「可愛い」という評価が集まること自体、差別的なのではないでしょうか。ハーフなら自然にバイリンガルになれる訳ではありません。バイリンガルの人は皆、努力して習得しています。わたしは英語学習者ですが、仮に私が「英語がカタコトで可愛いですね。」と言われたとしても、何も嬉しくありません。

上記のCMの件に対する回答から、彼女はとても思慮深い方のように見受けられます。ですから、誤解されることのないよう自分の得意な言語でしっかり回答したいでしょうし、実際に「英語で言わせていただきます。」と前置きした上で、英語で答えていらっしゃいます。

さらに、わたしの悪い癖として、物事を深読みしてしまうことがあるのですが、この「日本語で」というお願いの裏には、「”日本人として”答えて欲しい」というトンチンカンな意図があるように感じてしまうのです。日本語を喋ってようやく、日本人として認められる。そんな日本の社会が、この記者会見の背景にあるような気がしてなりません。

おさるのジョージで普通に描かれていた多様性

と、ここでいきなり話が飛びますが、先日1/12のNHK Eテレのアニメ『おさるのジョージ』は、ジョージと黄色い帽子のおじさんが、北海道の雪まつりにやってくるお話でした。

海外のクリエーターたちが描く日本像ですから、日本に住んでいる者として突っ込みどころ満載でした。おじさん、靴で畳に上がっていましたからね。また、日本人を演じている声優さんも、おそらく日本人ではありませんでした。(「こんにちは」くらいしか日本語は喋っていませんでしたが。)

しかしこれに関しては、日本のアニメが他の国を描くときも同様だと思うので気にしていません。むしろ、子どもの頃からジョージが大好きなので、ジョージが日本に来たことが嬉しかったです。

問題はそこではなく、アニメを見ていて、お祭りの屋台の方に褐色の肌の方がいることに気付いたのです。以下の方のツイートのキャプチャのシーンですね。

記憶違いでなければ、他の屋台にもいたと思います。

ここまで大坂選手を巡る差別的な問題について批判的なことを書いてきたくせに、この時私は、この屋台のおじさんに違和感のようなものを感じてしまったのです。つまり、私の中にも「日本人の肌の色はこれ」という思い込みがあったことに気付いたのです。

アニメのおさるのジョージには、いつも様々なバックグラウンドを持つ人たちが登場します。肌の色や英語のアクセントも多種多様です。ですから、普段であれば全く気になっていないはずなのに、「ここは日本」と思った瞬間から「日本人らしさ」に対する固定観念が発動してしまっていたのだと思います。

世界最古の国日本に根付く差別意識

日本は、現存する国としては最古の国としてギネス認定されている歴史の長い国です。しかも島国ですから、外部から侵略されにくく、単一民族を保ちやすい環境にありました。日本独自の文化と伝統を築き、守り続けてきたのです。

しかも同調することを大事にする国民性ですから、「皆同じ」ということに安心感を覚え、異質なものを受け入れがたく、差別に結びつく事もしばしばです。

テレビにおいても、いわゆる「ハーフタレント」は、日本人とは別の枠として扱われています。例え本人が日本で育って、日本国籍をもっていたとしてもです。結局は「見た目が日本人ぽくない」という理由で、日本人と区別しているにすぎません。 

日本は世界第4位の移民大国

閉鎖的と言われる日本ですが、一方で世界第4位の移民大国でもあります。公式に移民政策をとっていないものの、在留外国人の数は250万人近く。「1年以上外国で暮らす人」を移民とする国連などの定義に照らし合わせると、移民受け入れ大国なのです。

法の下で日本人となる日本国籍取得者は毎年1,000人程度ですから、”日本人”自体が多様化しているかというと、まだまだかもしれません。ただし現在、およそ50人に1人の割合で、両親のどちらかが外国籍の子どもが生まれています。およそ60人に1人だった10年前から比べると、着実に増加しているのが分かります。

航空券も安くなり、インターネットで世界中と繋がれる時代。世界との距離は、どんどん近くなっています。閉鎖的でいようなんて無理な話なのです。生活のすべてを100%メイド・イン・ジャパンで賄うことだって不可能ですしね。

日本人とは何なのか

このような状況で、何をもって「日本人」と定義するのか。今度こそ、認識を変えていかなくてはならない時代がやってきているのだと思います。 

英会話などで他民族国家出身の方とお話していると、「自分は○○系アメリカ人」とか「自分は自分」といった答えが返ってきます。各々が、自分は何者であるかを自分で決めているように感じます。

法的に何人であるのかは、国籍で決まります。外見が日本人で、日本語を流暢に話すことが日本人の定義ではありません。違法な手段で取得したのでない限り、それに関して我々が口出しすることは、そもそもおかしな話です。

と同時に、自分が何人なのかということはアイデンティティに関わることであり、本人が定義するものであって、他人がとやかく言えることではないのだと思います。本人が日本人だと思えば日本人ですし、どこにも属さないと思うのであればそれもまた一つです。自分の血筋全てという方もいるでしょう。それは守られるべき個人の自由なのではないのでしょうか。

 

人はすぐには変われませんし、社会が変化するにも時間がかかります。私自身も、自分の中の思い込みに気付いたので、柔軟な考えができるよう、これから意識していきたいと思っています。多様性を受け入れる為には、他者を尊重するという意味での「わたしはわたし、あなたはあなた」という距離感も大事ですよね。

 

以上、自戒もこめて”日本人”の定義についての考察でした。

 

Today's proverb

When in Rome do as the Romans do.:郷に入っては郷に従え