崖っぷち舞台役者が婚活を始めたら英語がペラペラになりました

30代半ばの婚活難民が英語学習に流れ着き、TOEIC955点、英検準1級を取得。次なる目標は英検1級。留学なしでどこまでいけるか挑戦中。

マリエ・コンドウ騒動とアリアナ・グランデ批判に感じる英語帝国主義。 Like water off a duck's back.

こんにちは。

 

最近ネットで話題になっているニュース、「米著名作家によるこんまり現象に対する差別的ツイート」「アリアナ・グランデのTwitter炎上」について。どちらも日本絡みのニュースなので、日本語でも報じられていますよね。

全く別のニュースではありますが、この背景には英語やアメリカに対する驕りを感じてしまいます。

今日はこの2つのニュースから、英語帝国主義について考えてみたいと思います。

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米著名作家による差別的ツイート問題

近藤麻理恵さんをご存知でしょうか。日本出身の「片づけアドバイザー」で、今はアメリカを拠点に活動されています。2010年に出版した『人生がときめく片づけの魔法』がベストセラーとなり、世界30ヶ国以上で翻訳され、米『TIME』誌の「最も影響力のある100人」2015年版artist部門に選ばれています。

2019年元旦からNetflixで配信が始まった『KonMari 〜人生がときめく片付けの魔法〜』は大ブームとなり、こんまり流片付け術が世界中で社会現象となっています。

そんな彼女に対し、差別と受け取れるツイートをし炎上しているのは、アメリカの作家であるバーバラ・エーレンライクさん(77)です。彼女は「ニューヨーク・タイムズ」などの有名紙でジャーナリストとして活躍した著名人。1980年には全米雑誌賞も受賞しているそうです。立場も教養もあるはずの彼女が投稿したツイートがこちら。

I confess: I hate Marie Kondo because, aesthetically speaking, I’m on the side of clutter.

As for her language: It’s OK with me that she doesn’t speak English to her huge American audience but it does suggest that America is in decline as a superpower.

告白します。私はマリエ・コンドウが大嫌い。なぜなら、わたしは美的なことについて言えば、散らかっている側の人間だから。

彼女の言語に関して。彼女が膨大な数のアメリカの視聴者に対して英語を話さないことに関して、個人的には別にいいと思う。でもこれは超大国アメリカの衰退を示唆しているわね。

実はこのツイートの前に別の投稿をし、差別的だという批判とともに瞬く間に拡散されていましたが、それを削除した上で投稿し直したのが上記のツイートです。削除された元の投稿はこちら。

I will be convinced that America is not in decline only when our de-cluttering guru Marie Kondo learns to speak English.

カリスマ片付け指導者のマリエ・コンドウが英語を話すようになったら、アメリカは衰退していないと納得できるわ。

元のツイートでも十分差別的だったと思うのですが、なぜか”superpower(超大国)”という単語を付け足し、コンドウ・マリエを”大嫌い”とまで言い切ってしまったのです。これらのツイートに対し、ソーシャルメディア上では、「彼女は人種差別主義で外国人嫌いである」と批判が集中しました。

火に油を注いだ形で大炎上したこれらのツイートに関して、エーレンライクさんは後に、「ちょっとしたユーモアのつもりだったと謝罪しています。さらに、

Yikes! I do not mourn the decline of the American empire, and in fact have campaigned for it for much of my life. And I heartily encourage the use of languages other than English everywhere and at all time.

わたしは、アメリカ帝国の衰退を嘆いているのではありませんし、実のところ、人生を掛けてその為の運動をしてきました。また、英語以外の言語がいつでもどこでも使用されることを、心から支持しています。

と弁明しています。

実際彼女は、労働者階級についての著作の多いリベラルな政治活動家で、"Nickel and Dimed"という本はベストセラーになっている著名人です。そのため、彼女のこれまでの活動を知る人たちからは、「これらの投稿は彼女流の皮肉であった」と庇う声も上がっているそうです。

彼女がどんな意図を持ってツイートしたのかは、本人にしか分かりませんが、物書きである彼女が、言葉の持つ力を知らなかったとは思えません。皮肉で済まされるかどうかくらい、思慮分別のある大人なら分かるのではないでしょうか。

しかし、これがソーシャルメディアの恐ろしいところで、発言する前に熟考するということを怠ってしまいがちなんですよね。最初のツイートに批判が集まった時点で、どこが問題なのかもっと深く考えるべきだったと思いますし、もしかしたら、考えても気付かないくらい、無自覚な差別意識だったのかもしれません。

www.dailymail.co.uk

近藤麻理恵さんの片付け術に興味のある英語学習者の方は、アメリカでも大ベストセラーとなった「人生がときめく片づけの魔法」の英語版を読んでみるのはいかがでしょうか? 

The Life-Changing Magic of Tidying Up: The Japanese Art of Decluttering and Organizing (The Life Changing Magic of Tidying Up)

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本を読むのは苦手という方へ。マンガもありますよ。 

The Life-Changing Manga of Tidying Up: A Magical Story

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アリアナ・グランデに対するCultural Appropriation批判

続いて、日本にもたくさんのファンを持つアメリカの歌手、アリアナ・グランデに集まった批判です。

事の発端はtatoo「日本に移住したいと思っていた」と語るほど日本を愛しているという彼女は、新曲「7 rings」のリリースを記念して、左の手の平に"七輪"というtatooを入れ、twitterに写真を公開しました。すると「日本のBBQグリルだ!」という指摘が相次ぎ、日本語の先生と相談した上で、後日、指と♡を追加して"七指輪♡"に変更しました。

この件は、日本でも大きな話題になりましたよね。しかしその後、海外では事態がさらに悪化してしまったようです。

彼女が、日本語を正確に理解しないままtatooのデザインに取り入れたこと自身のオフィシャルグッズに日本語を起用していることが、”cultural appropriation(文化の盗用)”に当たり、無神経だとして非難する人たちが現れました。

アリアナ・グランデは当初、謝罪を求めるリプライに対して、「確かにわたしは漢字の読み書きはできないけれど」と前置きした上で、「愛と敬意を持ってやったこと」と反論していたのですが、疲れ果ててしまったのか、「日本語のレッスンを受けるのをやめるわ」と返信しました。さらに、日本語を使用したグッズを公式サイトから削除しました。

売り言葉に買い言葉だったのかもしれませんが、日本語を学ぶことまでやめてしまうほど追い詰められてしまったなんて悲しすぎます。

www.glamour.com

kotaku.com

「appropriationとappriciationは違う」と語ったアリアナ・グランデ。文化の盗用と訳されるcultural appropriationですが、個人的にあまり馴染みがない言葉だったので、辞書サイトで調べてみました。

 

Cultural Appropriationとは

Dictionary.comに、その意味や由来が詳しく解説されていました。

Cultural appropriation is the act of adopting elements of an outside, often minority culture, including knowledge, practices, and symbols, without understanding or respecting the original culture and context.

知識、習慣、シンボルなど、外部(主に少数派文化)の要素を、元の文化やコンテクストを理解し尊重することなく取り入れること

”盗用”という訳語が当てられていますが、どちらかと言えば、流用・私用の方が近い気がしますね。

cultural appropriationという言葉は、1960年代に、植民地化政策やその影響に対する批判として、アカデミックな文脈で使われるようになりました。その後だんだんと一般化し、インターネット上の社会正義行動で使われるようになったようです。特に2013年、アメリカの歌手ケイティ・ペリーの芸者をイメージしたパフォーマンスに対し、Huffington Postがcultural appropriationであると批判する記事を投稿したことが、広く一般に認知されるきっかけとなりました。

一方でcultural appropriation批判はバカげた過剰反応であり、分離を助長すると非難する人たちもおり、論争が巻き起こっています。

しかし、宗教的な意味合いを考慮せずにビンディーを付けたセレーナ・ゴメスなど、有名人たちの行動を問題視する声が、年々増えてきています。

また、ステレオタイプな民族的コスチュームが着用されることも多いハロウィーンも、cultural appropriationにあたるのではないかという議論が毎年起こっているようです。

 

2つの件の背後に感じる英語帝国主義

わたしはこの2つのニュースの背景には、Phillipsonが1992年に唱えた「英語帝国主義」があると感じています。言語帝国主義とは、言語を強制することによって、文化的、経済的、政治的に世界を支配していくことと、それによって引き起こされる問題についての概念です。アメリカで英語を使わない人たちを批判し、外国語を使用しようとする有名人を非難する。英語絶対優位の社会が、英語圏の人たちに過剰な自信を与えているのではないでしょうか。

おそらく、こんまり批判ツイートをしたエーレンライクさんも、リベラルな思想とは別のところで、「アメリカに住んでいる以上、英語を話して当然」という意識があったのだと思います。実ところ、英語はアメリカの公用語として定められている訳ではないのですが。トランプ大統領の誕生やその支持層の厚さで露呈していた国粋主義ですが、その一部はもっと広範囲に、そしてより深いところに根付いていることが伺えます。

また、アリアナ・グランデに対してcultural appropriation批判をする人たちも、アメリカ(英語)>日本(日本語)という意識があるはずです。cultural appropriationは、少数派の文化を私物化しようとすることに対する批判であり、少数派が多数派の文化を使用したからといって批判されることはないからです。本来であれば、教会風の建物で神父の格好をした外国人アルバイトにより愛を誓う日本の結婚式も、cultural appropriationだと非難されていてもいいはずだと思うのですが。

アリアナ・グランデの件に関して、彼女のtatooに日本人が反発していたのであれば、日本の文化を守るための発言と好意的に受け取れなくもないのですが、今回はそういう訳ではありません。となると、少数派の文化や権利を守るという主張の裏に、自分たちの持つパワーへの自惚れがあるように感じてしまいます。

英語を学んでいる身としては、英語話者の一部にこのような意識があるというのは悲しいことですが、現実として知っておかねばならないですね。

 

日本の英会話ビジネスに蔓延る英語帝国主義

話が少し逸れますが、日本における英語帝国主義について気になっていることがあります。わたしはPhillipsonの「英語帝国主義」を読んだことがないので深く論じることはできないのですが、今回の件に関して調べていると、日本の英会話ビジネスにはこの英語帝国主義が蔓延していると思うのです。

Phillipson の主張によると、ブリティッシュ・カウンシルが英語を奨励するために使ったレトリックの根底には、以下のような英語教授法があるそうです。

English is best taught monolingually ("the monolingual fallacy")

英語は英語で教えるのが一番良い(単一言語使用虚偽)
the ideal teacher is a native speaker ("the native-speaker fallacy")

理想的な英語の教師は英語母語話者だ(母語話者虚偽)
the earlier English is taught, the better the results ("the early-start fallacy")

英語は早期に学べば学ぶほどより良い結果が得られる(早期教育虚偽)
the more English is taught, the better the results ("the maximum-exposure fallacy")

英語を使って学べば学ぶほどより良い結果が得られる(極大受容虚偽)
if other languages are used much, standards of English will drop ("the subtractive fallacy")

英語以外の言語を使うごとに、その分英語の能力が落ちる(控除虚偽)

英語教育や英語習得について語られる時に、日本で非常によく耳にする話だと思いませんか?

わたしはこれらの理論の全てが完全な虚偽とは言えないと思っていますし、実際異論を唱える学者もいるようです。

しかし、これらの理論は英語ビジネスに利用されており、100%正しいかのように書かれた英語学習本をたくさん目にします。その結果、日本人学習者は、英語習得にはネイティブ講師が良いものと思い込み、日本人講師を下に見る傾向にあります。「英語が喋れそうな外国人」の見た目であれば、ネイティブでなくても採用される英会話スクールがあるという、ひどい話もあるくらいです。

しかしわたし自身の経験からも、発音以外はいつからでも身に付けられると思いますし、英語を学ぶには、英語と日本語両方でバランス良く学ぶのが一番効率が良いと思います。英語を英語だけで学ぶのに向いているのは、英語に近い言語を母国語とする学習者であって、英語との言語的距離が遠い日本人にとっては、効率が悪いだけでなく、ストレスにもなり得ます。

さらに、日本の英語教育は過熱する一方ですし、国際化=英語習得の図式も、英会話ビジネスにとって都合の良いものですが、「英語ができなくてはならない」という義務感が、英語学習から足を遠ざけさせる一因となっていると思います。(「英語ができないことは死活問題」というところまで必要に迫られている場合は別ですが。)

わたしが英語を習得できたのは、それが趣味だったからです。英語が話せたら喋れる相手が増えるし、入ってくる情報が増えるから、面白くて便利だ。そういうポジティブな思考があったからなのです。英語帝国主義に押し流され、英語至上主義に踊らされていたら、苦痛になって挫折していたと思います。

しかし、ぶつくさ言っても英語が世界共通語である現実は変わらないですし、英語が必修になる以上、可能性を広げる為にも甥っ子には英語を教えています。ただし、英語はできて当然という押し付けをしてはならない思っています。

年々市場規模が拡大していく英会話ビジネス。ますます競争が激化し、宣伝には様々な煽り文句が並ぶことと思います。英語帝国主義に基づく英語教授法を盲信することなく、本当に自分に必要なこと、自分にとって有効なものを見極めていきたいものです。

 

 

この投稿が皆さんの英語学習の参考になれば嬉しいです。

 

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Like water off a duck's back.:蛙の面に水